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菓子屋横丁

蔵造りの町並みの中にある、菓子屋横丁は、江戸時代の中頃に2、3軒ほどの菓子屋が並んでいたのが始まりであるといわれていますが、菓子が活発に作られるようになったのは、砂糖が日本に輸入されるようになった明治時代になってからなのだそうです。

当時はお饅頭や羊羹、アメに混じって、川越の名物であるサツマイモを使ったお菓子などが並んでいたようです。

ここで駄菓子を作り始めるようになったのは、鈴木藤左衛門という人で、自ら駄菓子を作って商いをしていくことはもちろん、多くの駄菓子作りをする弟子を育てた人でもありました。

巣立っていった弟子たちは、川越地域に駄菓子屋を構えて、また新たな弟子を育てていくということが行われていましたので、この繰り返しが駄菓子と菓子屋横丁の発展となったポイントではないかといわれています。

駄菓子が本格的に作られるようになったのは、関東大震災で東京に数多くあった駄菓子屋が倒壊してしまってからのことです。

この大震災で大きな被害を受けてしまった東京の駄菓子問屋は駄菓子を製造できなくなってしまい、代わって川越の菓子屋横丁で駄菓子を製造することになったのです。

元々川越で駄菓子を作っていた職人だけではなく、東京からやってきた職人も新たな技術を伝授しながら駄菓子作りをさらに深めていったのだそうです。

菓子屋横丁が最盛期であった昭和初期頃にはなんと70軒もの菓子屋がここで商売を行っていましたが、現在は20軒ほどに落ち着いています。

時代が変わっても、菓子屋横丁はいつでも子供に大人気で、観光にきた家族連れの子供たちは吸い寄せられるようにここに集まってきますし、大人にとっても子供時代に返ることができる魅力的な場所となっています。

川越の地元では、社会見学などで、この場所を訪れる機会もあるそうです。

駄菓子にはそれぞれのお菓子がいろいろな匂いを持っていて、甘い匂いや香ばしい匂いなどが店先にいると、鼻をくすぐります。

この駄菓子の匂いという目には見えないものが、かおり風景100選にも選ばれた匂いになっています。

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